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アップル社のiPadが発売されました。
前評判も相当なものでしたので、同社のコアなファンでなくても少しは気になっていました。
さすがに発売当日である本日は、大変な行列が出来ていたようです。
身近に早速入手された方がいますので、その使用感等色々聞いてみようと思っています。

さて、書こうとしていたのはこの素晴らしい情報端末のことではありません。
たまたま日付が重なった時事ネタでしたので、触れてみただけです・・・。


11年前の本日、5月28日は、自分にとって人生最悪の日でした。
現実を現実として認めたくない気持ちと、今後への大きな不安。そして何よりも大きな虚無感に包まれていました。

1999年5月28日の未明、父は逝きました。
それまで全く意識の無かった父が、最期の瞬間、大きな目を見開き歯を食いしばって見せた無念の表情を、まるで昨日のように思い出します。

憲兵隊から一転、捕虜としてシベリア抑留を余儀なくされた祖父を残して満州からの帰国。
当時4~5歳だった父ですが、長男として祖母や兄弟達を守ろうと必死でアメリカ兵に立ち向かっていたと聞いています。
その後激動の時代を生き抜き、東芝府中から「営研」1期生としてHondaへと転職。
全国労組の初代委員長として全国を飛び回り、その後山梨へ帰り独立。

そんな歴史の中で培われた責任感は、自分にもしっかりと受け継がれていると思っています。
泥臭いまでの地道な努力を持ち前の笑顔で隠して、さらっと生きるように見せていた父の姿を思い出すと、いつも涙が溢れます。

父を亡くしてからの11年間はあっという間でした。
ただがむしゃらに仕事を続けてきた数年間。
師匠との出会いをきっかけに劇的に変わった数年間。

決して無駄ではない11年でした。

さて、決算をまたいだ7月より、更に重責を担います。
これまで以上に頑張らなければ、いや、結果を出し続けなければならない変化が訪れますが、父から譲り受けた資質を最大限に活かせるように、今後も努力を続けていこうと思っています。

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「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり。」
ある本を読んでいて見つけました。

良きことであるように見ても、は結果的に大きな欠陥を生むことになる。一方、本当に相手のため、または組織全体のため、世の中のためになる行いは、とても「非情」に映ることがある。

この言葉、子育てに通じる言葉だなあと思います。
本当は自分ですることが子供の為になるはずなのに、ついつい手を出してしまうことってあります。
「早くしなさい」という理由で・・・。

子供の都合は考えずに、自分都合でものを考えているが故に出てくる言葉だと思いますし、その場の気分で対処してしまう場当たり的な対応は、良い結果をもたらすはずがないということは少し立ち止まると直ぐに理解できることなのですが、行動として出来ていないのでは分かっていないのと一緒です。

結構心にグサッときてしまいました。

会社においても同じことが言えます。
先の見えにくい、また、非情に映る「大善」よりも、今の問題に対処する「小善」の方が良いと思えてしまうのは仕方の無いこと。でもリーダーとして「大善」を「小善」のように見せること、即ちありたい姿をより明確に示して、今この時の行動に移せるまでに噛み砕いて伝えることは必要なんだと思います。

ベクトル合わせはリーダーの重要な仕事ですから・・・。

自分の中の「大善」は何なのか?
もう一度自問してみようと思います。





先日、当社のメインバンクの経営者会に参加させていただきました。
総会後の講演会の講師はJALアカデミー接遇インストラクターの伊東絹子氏でした。

大変失礼ながら、うがった見方で参加していた自分は、またいつものありふれた一般論をお話されるのかなあと思っていましたが、会場に入ってこられた氏の立ち居振る舞いの素敵さが、そんな気持ちを消し去ってしまいました。
所作の美しさは、その人の印象を定義するには、十分すぎます。
そのことを改めて学ばせていただきました。

さて、講義の中で、気になる言葉を頂きました。
「顔は自分のものであるが、それは人のものでもある。」
いつも笑顔でいることの大変さを言っているのだと思います。
ゆっくり時間もあってストレスも無い状態の時は、笑顔になるのは簡単です。
ただ、そういう時間ばかり過ごせるはずはありません。どちらかと言えば忙しく走り回る時間の方が多い今、ふと鏡に映った自分の顔を見ると、真剣な表情というより仏頂面とでも言いましょうか、硬い表情をしてしまっていることに気が付きます。
しかし自分で気付いた時には手遅れ、周りの人達には既に不快な思いをさせてしまっている訳です・・・。
大反省をいたしました。

また、その言葉の続きとして「忙しいときに笑顔でいられるかどうかによって、その人の力量が試される。」
というお話も頂きました。
確かにその通りです。
以前師匠より頂いた「笑顔」の風船の意味を今更ながら実感し、「腑に落ちる」という感覚を味わいました。

「今日から笑顔!」なんて気合を入れすぎて、ニヤニヤしていると思われてもいけませんので、自然な笑顔を出せるようになりたいなあと思っています・・・。







「人生は30,000日」
ある方が言っていたのを思い出します。

1年が365日ですから、80年程ということになります。
自分に置き換えて考えると、現在約13,000日が、経過していることになります。
これまでの人生、今後の人生を考えると、13,000日は「もう」と捉えるほうが良いのか、「まだ」と捉えるほうが良いのか・・・?

42歳の若さで、この世を去ってしまった先輩の葬儀に参列してきました。
高校の部活動の先輩であり、現在はお取引先のご担当として仕事上のお付き合いもさせていただいていた方ですので、大変ショックを受けています。
完全に状況が把握し切れていないお子様の姿を見ると、大変心が痛みますし、先立たれてゆくご本人の無念さは計り知れないものでしょう。
無責任なことは言えませんが、どうぞ残されたご家族を見守ってあげてください。

会社に帰り、ある社員と明日は我が身だと話しをしました。
誰の身にも訪れる死ですから、準備をしておかなければいけないんだと思いますが、健康で暮らせている毎日の中で、そんなことを考えるはずもありません。
ただ、後ろ向きな意味ではなく、人間は確実にこの世を去る日に向かって生きていく訳ですから、「今日」「今」という時間がいかに大切なのかということを、もっともっと真剣に考えなければならないんだと思います。

そんなことは分かりきったこと。でも本当に分かってはいないことです。

今の自分にとっての13,000日が「もう」なのか?「まだ」なのか?常に自問しながらこれからの日々を過ごしていこうと思っています。



また随分久しぶりになってしまいました。
4月の追い込みから、あっという間にゴールデンウィークを迎え、少しだけゆっくりさせていただいたつもりが、既に5月も半ばとなります。
日々充実していたので、時間が早く過ぎて行くのは仕方の無いことですが、あまりのスピードに少々危機感を感じずにはいられません。

何となくやり残したことのあるような・・・。
ただ、そんな感情を持ってしまうことの原因分析はある程度できていますので、行動あるのみだと思っています。
反省をしていた矢先、偶然にも数名の方から自分のブログについてコメントを頂きました。
意外と読者の多いことに驚きです。

さて、また倫理法人会モーニングセミナー(以下MS)に呼ばれてしまいました。
先日の甲斐市MSにご出席されていた、地元南アルプスの会長様よりオファーをいただき、来る5月20日(木)に講師を勤めさせていただきます。

倫理の教えに則って快諾はしたものの、ホームの恐ろしさを全く考えていませんでした。
何が恐ろしいかと言うと、ご参加される方々が、殆ど知っている方ばかりなのです。
演題は、前回と同じでいこうと思っていますが、何せ自分の生まれ育った場所ですから、自分のことをよく知ってくださっている方も多く、「そんなの知ってるよ」的なことになってしまう可能性もあります。
そんなことを考えると夜も眠れず・・・。と言うのは嘘ですが、慌てて前回のノートをひっくり返し、話の組み立てを考え直しています。

更に怖いのは、南アルプス倫理法人会の会員でありながら、暫くMSをサボってしまっているという事実です。
きっと心の広~い皆様ですから、暖かくお迎えいただけるとは思っていますが、自分としては大変心苦しい思いで参加させていただきますので、どうぞお手柔らかにお願いいたします。


では、今夜も帰ってノートとにらめっこします。